LOADING...

オンラインショップへ
MENU

NEWS お知らせ

ぽんぽこの歩み(前編)

2021/03/11

形ばかりの「いただきます」

2004年秋、多忙な東京での暮らしから脱却し岩城島に移住を決めました。
それから2008年まで岩城島屈指の会社でバイトから始まり社員になり、身に余るサラリーを頂きつつも、東京のコンサルタント時代と同じように休みが無く、再び残業が当たり前のような生活スタイルになっていました。

それまでの私は農業には関心も経験もなく、価格を見ながら顔の見えない誰かが栽培したスーパーに並んでいる食材を手に取り、誰に向かってなのか私自身すらも分からない形ばかりの「いただきます」と合掌で食事をしていました。

時を経て、ようやく島人として認識して頂けるようになった中で、岩城島の農家さん達と自然と交流が始まりました。農家さんの話はどれも新鮮で、それはまるで初めて幼児がひらがなを学ぶ時のように一気に興味が農業に向いていきました。

当初はこのように興味だけだった農業なのですが、農家さんと打ち解け、色々話しているうちに真面目さが労働対価になっていないことに気が付きました。

例えば、毎日、老々介護しながらまじめに安政柑を作っていた農家のSさん。
本来、安政柑はとても大きく、それが特徴です。ですが、やはり小ぶりなものも出来てしまいます。直径を測り、キャリーに大きな玉だけを入れて出荷。
あとはごく一部の自宅用を除いて廃棄。もちろん小さい玉でも変わらず美味しく食べやすいのに。
買い取り業者は売りやすい特徴のある大きな玉だけを売れる安政柑として認める。
大きな玉も小さな玉も同じ愛情をかけて育てたのに。

「まじめさは誰かの為だけに浪費されるものであってはいけない」

いつしか、農家さん側の立場に立っていた私は怒りにも似た心で「改革」を作り出そうと考え始めていました。

農家の常識は市場の非常識(市場の常識も農家の非常識)

何も知らないというのは改革には必要なスキルだったと思います。
私は幸運にも農業を全く知りませんでした。
ですから、農家側のお話のほとんどが新鮮で「なぜ?どうして?」という質問の連続でした。
つまり農家の常識は買う側の非常識だった訳で、当時私が持った数百の非常識からいくつか挙げると、以下のようなものがありました。

● 農家にはお客様の声が全く届いていない
● 価格は農家が決められないし、聞くこともない
● 代金がいつ、いくら振り込まれるかわからない
● 見た目や大きさに拘らなければ極端に安い値段になる
● ライムはグリーンでなければ市場価値がない

これらを1つずつ紐解き、解決していくには私が「紹介する人」にならなければならないと思い、2009年秋から毎月欠かさず自ら柑橘を車に積込んで東京まで片道800㎞を運転し、東京に対面販売(南青山ファーマーズマーケット)に行き始めました。
そしてそこで、道行く人に農産品や岩城島の紹介をしながら、お客様の声を聞いているうちに私の疑問は都会のお客様が持たれているものとほぼ一致することが分かりました。

つまり、栽培する人と購入する人の常識が全く違っていたことを実感したということです。
また、地元では売れない「ただのレモン」でも、車で10時間走れば喜んで買って下さる方がたくさんいることも相まって、紹介する人に徹することの必要性が確証に変わりました。

こんなにおいしいみかんを食べた事がなく、
今年もまた食べれることを楽しみに待っています。
今まで食べたみかんの中で一番のみかんです。

福岡県 高橋さんより